人はなぜPCを自作していたのだろうか?(Re: 自作PCってなんで人離れていったんだろ)

自作PCってなんで人離れていったんだろ

興味深い疑問である。

そもそも人はなぜPCを自作していたのだろうか? この疑問に思いをはせる際に、人々の「PCにたいする姿勢」に注目すると、ほんの少しだけ見えてくるものがある。

  1. PCはあくまで手段である、という人たち
  2. PCそのものが目的化している人たち

1990年代半ばから2000年代前半までは、PCはまだまだ高価だった。そのため「PCはあくまで手段である、という人たち」の中でも「道具にこだわる」タイプの人の一部には「安価で性能のよいPC」を求めて自作PCに手を出す人がいた。当時は自作PCの方が安く済む余地がそれなりにあったのだ。

PC自作までたどり着かなくても、メーカー製PCにたいして、例えばメモリが足りないとか、内蔵のグラフィックチップではCRTディスプレイの最大解像度にてフルカラーを選択できないとか、そういう問題を解消するためにサードパーティのPCパーツを購入して取り付ける人もそれなりにいた。PC自体の基本性能がまだまだ低かった時代で、メーカー製のPCにてその手の不満が起きることもあったのだ。

で、メーカー製PCをカスタマイズしたり自作PCに手を出したりしていた人の一部が沼に落ちる――という流れで「PCそのものが目的化している人たち」への人口流入が発生していた*1

  1. PCはあくまで手段である、という人たち
    1. 道具にこだわる系の一部 → PCを自作 → 一部は(2)に鞍替え
    2. それ以外 → PCを購入
  2. PCそのものが目的化している人たち
    • (1)からの人口流入が発生

付け加えると、2000年代前半ぐらいまでは「汎用性のあるコンピュータを持ち運ぶ」ということは常識ではなかった。ノートPCはまだまだ高価でかつ非力だったので*2、デスクトップPCやタワーPC*3が主流だった上に、まだまだブラウン管が使われたCRTディスプレイも多かった*4PDAの類はコモディティ化しておらず、どちらかといえばマニアのオモチャに近かった*5。そしてスマートフォンはまだ存在しなかった*6

PCは設置して使うもので、まだまだ筐体の大きなデスクトップPC/タワーPCが多かった。「物理的にも拡張性が高いPC」が占める割合が高かったこともあり、サードパーティから様々なPCパーツが出回っていた。

そんな環境で、PC単体が高価だったこともあり、「PCそのものが目的化している人たち」の多くは「PCパーツ」を軸としてPCを弄ることが多かった。それはPC自作だけでなく、メーカー製PCのカスタマイズ*7も含む世界だった。

  1. PCはあくまで手段である、という人たち
    1. 道具にこだわる系の一部 → PCを自作 → 一部は(2)に鞍替え
    2. それ以外 → PCを購入
  2. PCそのものが目的化している人たち
    • (1)からの人口流入が発生
    • PCパーツが軸 → メーカー製PCのカスタマイズ and PC自作

さて、2000年代半ばになると、PCがコモディティしたこともあり、価格は随分と安くなった。またPCの基本性能の向上により、普通にメーカー製の出来合いのPCをそのまま使っても、日常的な作業に支障がでることは減ってきた。

こうなると「PCはあくまで手段である、という人たち」にとってPCを自作するメリットは薄れる訳で、彼らは普通にメーカー製のPCを買うようになった。スリムタワーPCやコンパクトPCの割合が増えて「PCパーツによるカスタマイズ」の物理的な難易度が高くなったこともあり、カスタマイズのためのPCパーツを買う人も少なくなった。

コンシューマ向けの「PCパーツ」は以前ほど売れなくなった。市場の縮小によるメーカーの淘汰や、「売れるPCパーツへの『選択と集中』」によってマニアックなPCパーツが出回らなくなる、などの変化が発生した要因の1つではないかと妄想している。

PCに手を加えたり自作したりする機会が激減したことで、「PCそのものが目的化している人たち」への人口流入も減少したように思う。

  1. PCはあくまで手段である、という人たち
    1. 道具にこだわる系の一部 → PCを購入(※ただしスペック等は吟味する)
    2. それ以外 → PCを購入
  2. PCそのものが目的化している人たち
    • (1)からの人口流入が減少

加えてノートPCの性能向上と低価格化が進んだことや、後年のスマホタブレット端末の普及もあり、汎用性のあるコンピュータを持ち運ぶことが一般的になった。この影響でPCは「拡張の余地がある未完成品」ではなく「すでに完成したもの」である、という認識がより一般化したように思う(持ち運び易さや、場合によっては「防水・防塵」を考えると、完成品である方が都合がよい)。実際、当時のノートPCで弄りやすかったのは「メモリモジュールの交換」ぐらいで、拡張ボードが挿せないために「メモリモジュールの交換」の次は「内蔵ディスクの交換」と一気に難易度が高くなった*8

「PCは完成品である」という認識が普及したこともあり、「PCそのものが目的化している人たち」の中にも「PCパーツ」ではなく「PC単品」を愛でる人が出てくるなど、ある種の多様性が生じたように思う。いるでしょう、ノートPCや安鯖に特化した人が。

現在は「PCそのものが目的化している人たち≒PC自作スキー」が成立しない時代だ。

外界の影響もある。2000年代後半には「『完成品』としてのPC」の部分的な代替となるスマホタブレット端末が登場した。同じころに「『拡張の余地がある未完成品』としてのPC」の代替にもなりうるシングルボードコンピュータBeagleBoardが登場したし、2010年代半ばにはRaspberry Piが発売されてヒットした。「PCそのものが目的化している人たち」の中には「実はコンピュータそのものが目的化している」というケースもあり、そういう人たちはPCという形態にはこだわらない(かつては他に選択肢がなかっただけだ)。

あとPC-UNIXとかそっち寄りの場合、その昔はOSのインストールで苦労しないように「厳選されたパーツ」でPC自作していたパターンもあるのだが、今となってはVirtualBoxのような仮想環境もあれば、クラウドLinuxインスタンスもある訳で、そっち方面に解脱しているケースもある。*9

そんなこんなで、時の流れによってPC自作以外に軸足を移したロートルはそれなりにいると思う。

  1. PCはあくまで手段である、という人たち
    1. 道具にこだわる系の一部 → PCを購入(※ただしスペック等は吟味する)
    2. それ以外 → PCを購入
  2. PCそのものが目的化している人たち
    • (1)からの人口流入が減少
    • 「PC自作派」以外の派閥が形成されている
    • 実は「コンピュータそのものが目的化」 → SBCなど「PC以外の選択肢」がある

現状は、PC自作への人口流入が少なく、PC自作以外への人口流出が起きている状態だろう。人口流入と人口流出のどちらが多いのか、明確なエビデンスを持ち合わせていないのだが、個人的には「新規参入が少ない中、環境の変化によってロートルがPC自作を止めていっている」という印象がある。

これは根拠のない妄言だが、1990年代後半から2000年前後は「Windows 95/98の登場によるPCの爆発的普及」と「非力なメーカー製PCをサードパーティのPCパーツでカスタマイズしやすかった時期」と「PC自作で『安価で高性能なPC』を構築できた時期」が偶然にも重なった、いわば「PC自作人口のベビーブーム」といえる時代だったように思う。

現在40歳代前半の人たちは、当時は10代後半から20代前後という「流行の影響を受けやすく、かつ年齢的にバイト等で収入を得ることが不可能ではなかった」年齢だった。つまり「PC自作にハマる」ための下準備が整いやすい環境下にいたといえる。

あと、団塊ジュニアほどではないものの、それなりに出生人口が多い世代でもある。なので、仮に「人口あたりの『若い時にPC自作にハマる人』の割合」が全世代でほぼ同じだったとすると、今の若年世代と比較すれば「パイ全体が大きい」訳で、要するに40歳代前半は「PC自作人口ピラミッドボリュームゾーン」だった可能性がある。

この年代は、私を含めて氷河期世代な訳で、結婚している人は家庭の事情(空間的にも金銭的にも)で、未婚の場合でも経済的事情などで、PC自作から撤退する契機が多々ある。そして経済的事情と晩婚化の組み合わせは、昨今の「中高年のバイクブーム」の類似としての「PC自作への復帰」が後年に生じる可能性を氷河期世代から奪っているように思う。

  1. PCはあくまで手段である、という人たち
    1. 道具にこだわる系の一部 → PCを購入(※ただしスペック等は吟味する)
    2. それ以外 → PCを購入
  2. PCそのものが目的化している人たち
    • (1)からの人口流入が減少
    • 「PC自作派」以外の派閥が形成されている
    • 実は「コンピュータそのものが目的化」 → SBCなど「PC以外の選択肢」がある
    • 家庭の事情による「ボリュームゾーン」のロートルの撤退?

ところで、ここ数年のPC自作といえばゲーミングPCだが、これまでの分類を当てはめるならば、ゲーミングPCは「PCはあくまで手段である、という人たち」の世界の産物だと思う。今は諸事情により自作している人もいる状況だが、この傾向がどこまで続くのか、どこかの時点で「メーカー製のゲーミングPCで十分だよね」という転換点を迎えるのか、少し興味がある。

PCパーツを買う人が減れば、コンシューマ向けの流通が減り、パーツ購入が難しくなり、結果として私がPCパーツを買うのに苦労することになる――という個人的なワガママより、PC自作の今後の動向を暇な時に注視していきたい。

……さてと、いい加減そろそろ2年前にパーツを揃えた「積み自作PC」を消化しないとなあ。それと、勢いだけで買って持て余しているJ5005-ITXをどうするかも決めないと。

*1:当然ながら、それ以外の経路で「PCそのものが目的化」した人たちもいたことに留意すること。

*2:ノートPCの普及については、2003年にIntelPentium Mを発売して、それを搭載したノートPCが出回ったあたりで、潮目が変わったように思う。2006年発売のモバイル向けCore 2 Duoによって、CPUに起因する性能面の不満は(普段使いの範囲では)ほぼ解消された感じだった。

*3:もっともタワーPCについては、少なくとも1990年代末には「フルタワーはデカすぎる、せめてミドルタワーじゃないと」という認識だったように思う。なおここ1~2年ぐらいのゲーミングPC向けタワー型ケースを1990年代末のミドルタワー型のケースと比較すると、高さは概ね同じくらいだが、幅と奥行きは今のケースの方が大きくて、そのおかげでメンテナンス性が向上している。

*4:メーカー製PCに液晶ディスプレイが付属することが一般化したのは2000年を過ぎたぐらいの時期だったと記憶している。

*5:……まあ、持っていたんだけどね。SONYCLIE。仕事でも使ってた。

*6:なおガラケーも中身はコンピュータであるが、アレはどちらかといえばワープロのような専用機で「汎用性のあるコンピュータ」という感覚はなかった

*7:メモリを増設したり、拡張ボードを挿したり、オーバードライブプロセッサに手を出したり……。

*8:主に「OSを含むデータ移行」という面で……。

*9:あえてハードウェアの存在にこだわる場合も、Macという「BSD流のユーザランドを完備した、吊るしのコンピュータ」があるからなあ。