そろそろ「美しいコード」って言うの止めようぜ

――と題名の通りの感想を抱いたのだが、「美しいコード」の代替となる上手い言い方が思い浮かばないのである。

いや、記事の内容に異論はないというか、私自身は汚いコードに拒否反応を示す人であるし、未だに「もっと良いコードを書きたいなあ」という欲を持っている。

なんだけど、こう、何というか、「美しいコード」の「美しい」という言葉ゆえに誤解されてしまっている側面があるように思うのだ。

どうも「美しさなんか関係ないだろ!」と否定する人は、「美しい」という言葉ゆえに脊髄反射的に「気難しい職人のこだわり」みたいな解釈をしているように感じられる。どことなく「常のものではない」という意識がある。だから「(常の側にいる私たちには)関係ない」と切り捨ててしまう。

でも実のところ、「美しいコード」の初級〜中級というのは、製造現場に例えると「4S5Sが定着している状態」だと思うのだ。目的は「安全性・効率化・品質向上」で、手段の1つが「4Sないし5S」。これがプログラミングでは、目的は「RASIS」であり、手段の1つが「美しいコード」、という感じだろうか。

「3M(ムダ・ムラ・ムリ)を解消する手段の1つとしての4S/5S」からのアナロジーとして「システム開発の3Mを解消する手段の1つとしての『美しいコード』」と捉えると、「美しいコード」は割と基礎レベル寄りの手法であるし、日常的に定着していないとマズい代物だということになる。

つまり「美しいコード」は常のものだ。それどころか4Sや5Sのような土台・基礎であり、出来てないと「え、そんなこともできないの?」と言われて恥をかくレベルのモノだ。

だから「『美しいコード』って、実は製造現場でいう4Sや5Sなんですよ。基礎中の基礎ですよ」と明確化すると同時に、今後似たような誤解が起こらないように、対外的には「美しいコード」という言葉を封印して、別の言い方をすべきだと思う。

問題は「美しいコード」に代わるパワーワードが思い浮かばないことだ。「良いコード」だとインパクトに欠けるしなあ。